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葛飾 戴斗(かつしか たいと、生没年不詳)とは、江戸時代後期の浮世絵師。 == 来歴 == 葛飾北斎の門人。姓は近藤、名は文雄。通称は伴右衛門、喜三郎。斗円楼北泉、洞庭、洞庭舎、玄龍斎、米華斎、米華山人、米華道人、野竹、閑観翁、昇山などとも号す。もと但馬国(現兵庫県)豊岡藩小笠原家の藩士として江戸に生まれた。初め上野山下に住していたが、後に平河町に移ったといわれる。葛飾北斎の門に入り斗円楼北泉と号していたが、文政2年(1819年)頃に二代目戴斗を襲名し、葛飾戴斗、玄龍斎戴斗と号している。戴斗は北斎が文化8年(1811年)頃から文政2年(1819年)頃まで使用した画名であった。北泉と称した時には『北斎漫画』二編の刊行に尽力した。文政(1818年-1830年)から嘉永(1848年-1854年)の頃に活躍、作域は広く肉筆画の他、版本の挿絵、錦絵なども手がけている。画風は北斎の画法を最も忠実に継いだもので北斎に酷似しており、「犬北斎」というあだ名で呼ばれていた。著作としては嘉永元年(1848年)から翌2年(1849年)刊行の『花鳥画伝』二冊、『万職図考』五編5冊(初-三編は天保6年〈1835年〉、四・五編は嘉永3年〈1850年〉刊行)、『戴斗画譜』一冊(刊行年不明)、『武者鏡』(刊行年不明)、文政7年(1824年)刊行の『英雄図会』、文政5年(1822年)刊行の『二十四孝図会』一冊、『小紋雛形』一冊(刊行年不明)などが知られている。 肉筆画「若菜摘む美人図」は河辺で若菜採りにいそしむ女性二人を描いており、腰をかがめて若菜を摘む女性は眉を剃っているため既婚者だと判る。一方その横に立ち、右手をかざして遠くを見やる女性は若い娘であろう。よくまとまった美人図である。「若衆図」は外出着のまま疲れて座り込んでしまった若衆を描いており、脇息代わりに左手を預けた小棚には謡の本がぎっしり積まれている。舞踊でも習いに持参した風呂敷包みを憂鬱そうに見つめるこの若衆はよほど稽古が苦手と見える。 墓所は豊岡市三坂の旧・瑞泰寺。門人に戴岳、北涯がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛飾戴斗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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